【2歳差と4歳差】妊娠中のママの生活の違い
今書けることをと思い、2歳差と4歳差の妊娠中の違いについて。1人目〜2人目が4歳、2人目〜3人目が2歳差です。1人目〜3人目までの妊娠中の生活を比べてみました。
■1人目妊娠中
・重いものは持たない。買い物袋でさえなるべく持たない。ちょっとでも持つと「大丈夫かな⁉︎」と不安に駆られる…
・日中あまり動くこと必要がない。何をするにも「座ってて」と言われる。
・最後の独り身と思い、買い物など好きな場所へ出かけていた。
・食事には気をつけるが、生活リズムは独身時代のまま。やたら眠くて午前中よく眠る。
■2人目妊娠中(4歳差)
・買い物袋や家族3人分の洗濯物程度は持つ。長男はまだまだ抱っこ好きだったけど、さすがに4歳児は重いので言い聞かせてしないようになった(産後また復活)。
・子どものお世話と家事に動き回る。しかし4歳になれば1人で何でもでき、理解もあるので、危ないことはあまりない。走ることもない。
・「妊娠中より産後の方がむしろ何でも食べられない」と知っていたので、子どもが園にいる間は1人ランチへ。
・和食中心、生活リズムは園に通う子どもに合わせて規則正しい。
■3人目妊娠中(2歳差)
・10kgの次男は抱っこが多め。次男+買い物袋を持つことも(個人差あり)。
・2人分の子どものお世話や家事+ヤンチャで危ないことの多い次男を、家でも外でも走って追いかける。階段の補助はさすがに怖い。
・2人と遊ぶ必要があり、夜は長男とキャッチボールしながら次男を追いかけるなど、とにかく一日中動き回る。
・食事と生活は2人目と同じく。
■大きく違う4歳差と2歳差
やはり2歳差と4歳差では、大きく違いますね。
4歳差(3歳半〜)は食事はこぼさないし、オムツも外れており、お風呂も入るところから洗って着替えまで自分でほぼ一通りでき、階段も1人で登れ、危ないことがわかっています。ママも身体的にはそこまで大変ではありません。
しかし2歳差(1歳半〜)は、上記全てができない。重いものは持つわ走り回るわで、「ほぼ妊婦じゃない日々を過ごしている」の一言に尽きます。
選べるものですが、ママの妊娠中の体質や性格によってどっちが向いているかは分かれると思います。
大変は「大きく変わる」
「大変」と言う言葉がキライでした。
自分で言うのは、好きじゃない。
言うと余計大変な気がして、疲れます。言葉には力があるので、マイナスな言葉全般を普段から口にしないようにしています。
他人から言われるのも、好きじゃない。
ねぎらいなら良いのですが、「ねぎらっての大変」は少なめ。ねぎらい以外の意味含む(「かわいそう」「私じゃなくて良かった」)場合、やはり余計疲れるので好みません。
また、価値観や感じ方は人それぞれで、自分では「大変だ」と思っていないときに言われると、ん?と考えてしまいます。
しかし先日、「大変は大きく変わる」という言葉を見ました。
なるほど、大変なときってハードだけど、物事は大きく変化している。自分の考え方や行動、現実の状況は確実に変わっているし、経験値もアップしている。
大変を超えることで、得るものがある。
そう考えると、大変なこともプラスに思えてきますね。大変なときの励みの言葉にしようと思います。
大丈夫。パパも祖父母も一日中赤ちゃんと2人きりで遊べていない
下の子はお腹の中にいるときから下の子
最近聞いて面白いなぁと思ったのが、「下の子はお腹の中にいるときから下の子」という話。
その方の次男は、下の子を産んだ直後医師に「この子は次男の顔をしている」と言われたとのこと。
■育て方より個性
不思議なことですが、話を聞いていると「長男は繊細で大人しく、次男はヤンチャ」パターンが多いんです。
我が家もそのパターンで「兄弟の育て方の違いでしょ」とよく言われますが、もう、新生児期から違うんですよ。いや、なんならお腹の中から違う。
長男は胎動が少なく、次男は足の形が浮き上がるほどの激しい胎動でした。新生児期からすでに、睡眠リズムや足の動きが全然違いましたね。
彼らの違いを見ていると、たしかに育て方もあるけど育て方より強いのが個性、が持論です。
それから子育てについて大分肩の荷もおりました。
第一子ヤンチャパターンも聞くものの、「上は大人しくベッタリで下はヤンチャでさっぱり」とプログラミングされている人間が多めかなという雑感です。
■お腹の中で聞いている
そんなことを考えていたら聞いたのが、冒頭の話。
そういえば妊娠7ヶ月頃から、お腹の中の赤ちゃんは外の声が聞こえるんですよね。お腹の中にいるときから上の子の声を聞いているんだから、たしかに下の子は妊娠中から下の子なんです。
次男を見ていると、「ママより兄LOVEなのでは?」と思うときもしばしば。金魚の糞ごとくつきまとい、ご飯も歯磨きも兄を指示。「ママちがう」とまで言われる始末。
胎教で音楽や読み聞かせを勧められますが、お腹の中で聞いていたきょうだいへの声への思いもひとしおなんでしょう。
生き物って面白いですねぇ。
大丈夫、子育ては「慣れ」次第。慣れればグッと楽になる
子育てをはじめて6年が過ぎました。
もちろんその間の心配や悩みは、簡単にあげるだけでも「新生児期の眠れないお世話ループ、黄昏泣き、乳腺炎問題、離乳食、感染症などの病気、イヤイヤ期、トイトレ、卒乳、入園、幼稚園や性質上の悩み、2人目子育て、赤ちゃん返り、中間反抗期、兄弟喧嘩…」と、まぁ〜キリがないほどあります。細々としたものは、もっともっと。
これからもずっと、小中高大就職後も、親は心配したり悩むものなのでしょう。
■1つだけわかったこと
これからも悩みは続く。ある意味、子育ては悩みの無限ループかもしれません。
けれども最近、1つだけわかったことがあります。それは「子育ては慣れればグッと楽になるし、必ず慣れる日はくる」ということ。
たとえば私は、いま子どもがお茶や味噌汁をこぼしても、「あ!」と反応もしなければ、イラッともしません。一日三回はやりますが。
最初の頃はこぼせば「あ〜‼︎」って反応していたし、最初は注意するものの「何で注意してもなんどもこぼすんだろう?子どもは何十回言っても分からないものなの?」と疑問に思ったり、「理解しないならなんて声掛けするのが正しいの?」と対応や声かけに悩んだり、「タオル持ってきて片付けて着替えさせて新しいお茶持ってこなくちゃ…疲れてるのにまた仕事が増えた」と愚痴っぽくなっていました。
これを50回、100回と繰り返してると、さすがに慣れるんですね。
悶々とするのも愚痴っぽくなるのも、ハッキリ言って!飽きる。
「何も考えないでさっさと片付けるのが心身ともに1番ラク」とわかる。
同時に、「子どもは何十回同じことを言っても理解しない生き物である」「少し前よりはこぼす回数が減っている」ことも分かり出すし、2人目以降になれば「まだ○歳じゃこぼして当たり前。○歳くらいで大丈夫になる」と悟ります。
分からなかった声かけや対応も分かり、あとはそれを繰り返すだけ。
思えば長男は2歳半まで夜間も3時間置きに起きていましたが、最初の1年はしんどかったものの、後は寝不足なものの慣れました。
子育ては、どんなことでも心身ともに慣れるものなんですね。
いまの子育てが大変なのって、「自分の命より大切な未知の生き物を、初めて何の知識も経験も助言もなく、たった1人でつきっきりで行う」から。だから特に1人目子育ては大変ですよね。
それでも必ず慣れる日が来るし、慣れればラクになるということがわかっていると、少し気持ちがラクになる。人間は慣れる生き物なので、大丈夫です。
■「悩み方」もわかってくる
最近は、「悩み方」もわかってきました。
最初はまぁ、ドーンと落ち込んだり、考え込みますよね。自分を責めたり、罪悪感なんか感じたりして。
でも、自分を責めても現実的には何の解決にもなりません。
現実的に解決するためには、情報収集です。周囲の家族や友達に話を聞いたり、本やネットで調べて情報を収集。同時に体験も必要で、情報の中から「自分と子どもに合ったもの」を取捨選択し、いくつも試し、やがて解決していくものです。時には慣れや時間が解決してくれるものもあります。
まさに入学や3人育児とまた新たな経験が控えていますが、悩みながらも時々一歩自分から離れ、自身の慣れていく経過を見守っていこうとも思います。
1番強いのは、子ども時代にできる限りの質と量の愛情に触れさせておくこと
熱を出して寝込んでいる息子の額に、義父が「大丈夫か」と心配そうに手を当てた。
その光景を見ながら、
あぁ、私も小さな頃は風邪を引いたら、同じように両親や祖父母に心配してもらって、愛情をかんじたものだったなぁ
と思い出した。
ふと気付けば今は32歳で、自分が親となり、祖父母と父は亡くなった。
当時当たり前だと信じ切っていたあの光景は全然当たり前じゃなくて、「超」短期間の期間限定だった。
子どもでいられるのも、祖父母や両親が生きているのも、期間限定なのだ。
今私が体調を崩せば、母が心配してくれる。
そんな今も大切で、また30.40年も経てば、いずれ1人で苦しむことになるかもしれない。
ほんとうに1人になったとき、私は思い出に支えられるのだと思う。
だからこそ子ども時代には、惜しみのない愛情を、子どもには受けさせてあげたい。
親と祖父母の愛情は、また質が違う。
どんな家庭も嫁や婿としては色々あるだろうが、子どもが愛情を受ける機会は増やしたい。
色んな人の、色んな種類の愛情を、たっぷり味あわせてあげたい。
そうして記憶と心と体に、自分が愛されている存在だと染み込むこと。それが一生を生き抜く上で、1番強いと思うのだ。
【考える力アップ実践編(基礎ステップ2)】「手をかけることが愛情」の間違いと代償
さて前回に引き続き、親が自分を甘やかすコツについて。中途半端じゃダメなんですよね。育児は毎日ですから。私も苦労しましたが、真面目な人ほど甘やかしが足りなくて元の木阿弥です。
でも、次のような考え方が自分を甘やかすキッカケとなりました。
■誕生日パーティーにカップラーメン
あるサイトで、1970年代頃の子どもの誕生日パーティーのメニューの写真を見たんです。ビックリしました…カップラーメンが並んでいたのですね。
他にも買ってきたものばかりで、ママが手作りしたように見えるものがありません。説明書きには、「この時代は買ってきたものが一番のご褒美」という一文がありました。
なるほど、高度経済成長期らしいですね。手をかけるよりも、お金をかけることが愛情の印。そんな時代もあったのです。
一世代経ち、今では「手をかけることが愛情」の時代。皆さんもそうじゃないですか?必死で毎日何でも手作りって人、多いと思うんですよ。冷凍食品使って罪悪感、とか。
■手をかけることの代償
私は本来超不器用で家庭的なことが大の苦手なんですが、やはり子どもが生まれてからは「手をかけることが愛情」と不器用なりに頑張ってきました。
次第に目に付き始めたのが、「手をかけることの代償」です。以下は一例です。
・自炊している間、子どもは一人遊び。しかし5分と持たず、「ママ遊ぼ〜」とすぐに料理が中断されイライラ。次第に本当に時間がなくなり、「ママ今忙しいんだから」と怒ってしまう。
・一日に何十回と繰り返される「ママ見て〜」。でも火を使ってる間は危ないし、「これやったら次はあれしてその間にこれしないと」と家事の段取りを考えてると、子どもの話を聞く余裕がない。ムリして聞いても表情は固く、その雰囲気は子どもに伝わっている。
・手をかけるとやることだらけで、夜には疲れ果てる。子どもを可愛く思う余裕もなく、不意に怒ってしまう。
■「○○が愛情」は人によって違う
常々思っていることなのですが、価値観なんてすぐに変わります。地域や国によって違うものだし、同じ場所に住んでいても10年20年で180度変わる。一日で変わることもありますよ。その時代の価値観に縛られることはない、と思うんです。
大事なのは、自分なりの価値観を定めること。そうすれば老後になっても、自分の子育てに後悔はしないでしょう。
「何が愛情か?」も、人によって変わります。個人的には「子どもと遊ぶこと、話を聞くことが愛情」。
といっても出来ない時もあるので、目標も兼ねています。こう割り切ってから我が家のメニューは大分シンプルになりましたし(夕食作りまでほぼ朝の間に済ませてしまいます)、時間をお金で買う(お惣菜や食洗機の活用など)大切さも身にしみました。
■女性は感覚も大切に!
それだけでなく、女性にはオシャレやスイーツ、カフェタイムや音楽を聴くなども重要。独身時代の「新しいネイルで一日ご機嫌」「いつもよりまつ毛が上がって気分が上がる」的なことは侮れませんよ〜〜これは女子ならではですね。
女性だからこそ、女性的な感性の部分も甘やかしていきましょう。