子ども哲学 Think&Debate

子どもと一緒に、親になる。

母親業という「行」

子どもという、自分の命以上に大切な存在を育てる母親業。我が子は、言葉では言い表せられないほどの幸せをくれる存在です。

その一方で、言葉では言い表せられないほど落ち込んだり、猛烈に自分を責め立てたり、いてもたってもいられないほどの不安に駆られたり、心配をすることもあります。

たとえば、子どもが高熱を出したとき。痙攣したとき。ケガをしたとき。

どうなるかわからない、大丈夫なのだろうか…医師に診察してもらい、あとは子どもの回復力を信じるしかないーーー

こういうときの不安はとてつもないもので、不安で表情は固まり、他人の声も音も耳に入らなくなり、自分の心臓の鼓動が激しく聞こえ、息が詰まりそうになります。我が家もこの夏子どもが熱中症の疑いが出て、生きた心地がせず、熱が下がるまでは眠ることができませんでした。

そういうときに気付くのが、大切なものを得ることと、大切なものを失う恐怖は、いつでも表裏一体なのだということ。ものすごく大切で幸せをくれるものを抱いているということは、いつでも同じくらいの恐怖を抱えているのだということ。

母親業というのは物凄いことだと、子育てをする中で、度々感じさせられます。

不安に駆られたとき、思い出すのが、『解夏』で出てきた「行」という言葉です。やがて確実に失明するという病気を抱えた主人公が、「失明するという恐怖は、『行』ですな」と禅僧に言われたシーンです。

大切な存在を胸に抱きながら心配をすることも、また、「行」なのでしょう。何度やっても慣れません。

自分のことなら良いけれども、子どものことですから。病院へ行ったり看病をするなど親が出来る限りの事をしたら、あとは子どもの回復力を信じるしかありません。もどかしいったら、ありません。

結局は、今自分がここで出来ることを、100%するしかありません。あとはその恐怖や不安と向き合っていくこと。親の顔色を子どもも見ていますから、親の恐怖を子どもも感じますから、子どもの前で自分はどうするのが良いのか、考えること。

不安な表情をしていいのか。一番不安な当の本人は、親にどんな表情をしていて欲しいと思っているのだろうか、考えるべきでしょう。親が子どもを信じるのが、一番の力になります。

子育てには、様々な行があるものですね。子育てでなく、親子育てだと、心から思います。