家事育児で罪悪感を感じるのは「自分への期待値」が高かっただけ
このところ子どもの看病続きだったり、自分にも病気がうつったりしていました。
看病や病気が続くと、体調も良くなかったり、心配で精神をすり減らし、段々と弱っていくものですね。外は天気がいいから、本当は色々なところに子どもを連れて行きたいけれど、それができないのも悔しい。
子どもの体調が本当に悪そうなときは心配で心配で仕方ない私。
元気になってくると、今度は段々と焦りが出ます。学校の勉強は大丈夫か、自分の仕事はどうしよう、仕事が溜まって終わらない…なんて焦りや不安が入り混じり、余裕を失う。
そこで「早く直して学校行かないとね」と、子どもに言ってしまったんですね。
しばらく経って、「あぁ、なんて『嫌なお母さん』になり下がったのだろう」と、落ち込みました。
誰だって、好きで体調が悪いわけじゃない。大好きなお母さんに、体調が悪い時にそんなことを言われたら、自分ならどう思うだろうか? 傷付くし、自分を責めてしまう子だっているでしょう。
「自分が嫌だと思っていた大人」に自分がなっていることに、この時ばかりは本当に自分に嫌気がさしました。
常々、「子どもの気持ちに寄り添う育児」を目標としていたのに、できていないじゃないか、と。
それからまた少し経ち、「そりゃあ半月以上も看病し、自分も体調を崩し、仕事も育児も家事もあれば心身の余裕をなくすだろう」と気付きました。
子どもの病気って、育児の中でも1番大変な時ですよね。
同時に、自分のことを「嫌なお母さん」だと思ったけれど、むしろ「どれだけできたお母さんだと思っていたのか?」と。
育児はとても楽しく、幸せなものですが、罪悪感を感じる場面も多いものです。
でもそれは、「自分への期待値」が高かったのだと、今では思います。自分が思っているよりも、自分は未熟な人間なんですね。
期待と現実の差が大きいからこそ、罪悪感を感じる。だから罪悪感を感じたら、「それだけ理想や期待が高かったんだ。これが本来の自分だ」と、自分と向き合えるチャンスだと思うことにしました。
「諦める=明らかに見る」自分を明らかに見ることで、罪悪感も減らせるし、具体的な対処法も立てられ、また罪悪感も減らせます。
未熟な自分を知れば知るほど、生きやすくなる。
そのことに気付かされました。