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フリーランス3児のママ 禅的子育て 

結果は変えられないけれど、捉え方は変えられる

最近の一番の学びは、「結果は変えられないけれど、捉え方は変えられる」という考えです。

いつでも結果や事実は、変えることができません。結果や起こった事実は、いつでもゴールです。

それをどう捉えるか、そこからがスタート。

どれだけ多角的な視点で捉え、自分の納得できる答えを選び、行動するか。1番大切なのはここです。

自分でも実践したいし、子どもにも話していきたいことですね。

育児にも「自分哲学」を持ってみる

育児においても、「自分の哲学を持つ」ということは大切です。自分の哲学を持っておくと、子どもにとっても良いですが、何より親がラクです。

ザッとですが、私の育児哲学を3点ほど書いておこうと思います。

育児を始めて8年が経ち、3人の子どもがいますが、まだまだ母親としては初心者の立場にいます。3人とも性格や体質もバラバラですし、特に子どもの病気やケガについては、8年経っても慣れません。

育児論も様々な説があって悩みますが、1番大切にしているのは「自分の本能」です。

「本能って哲学じゃないでしょ」と突っ込まれそうですが、やっぱり人間は本来動物なんですね。

1人目の妊娠~出産時、強く実感しました。自分の意志とは無関係に、自然とお腹が大きくなり陣痛がきてちゃんと赤ちゃんが生まれてくるのですから、「自然とは上手くできているものだ」と驚いたものです。

また、以前から周囲には「直感や感覚が鋭い」とか、「直感を一番信じた方がいい」とアドバイスされることがありました。自分の中でも動物的な直感が優れていると思う経験の積み重ねがあり、最後は本能に聞くことにしています。

たとえば「抱き癖が付く」という言葉も、「抱っこしたいんだから抱っこする」という本能に従い、気にしませんでした。

仕事柄、様々な育児書を読みますが、小さな違和感の残るものは受け入れず、肌に合うものを選んでいます。そうやってきて一番自分に近いと思ったのが、不思議なものですが、児童精神科医である佐々木正美先生の著書でした。

本能というと、逆に触れる心配もあるのではないか、という指摘もあると思います。自分に対しては、そんな心配はありませんでした。今まで何をするにも自分と向き合ってきたので、自分に反することはしないですし、倫理性を持ち合わせている人間だと自分で判断したからです。

次に、育児で最も大切なのは「心の栄養」であると決めています。何をするときにも、最優先事項に「心の栄養」を置いています。

たとえばわが家はワンオペ育児ですから、私が疲れ切ってしまうと、子どもが困ります。園や学校で疲れてきて家でリラックスしたり、ママに甘えたり遊んでもらいたいのに、そのママに余裕がなければ子どもが困る。

子どもがのびのびいられたり、子どもの変化に気付いたり、子どもが自由に甘えられるように、疲れたら私は休みます。仕事だけはしますが、それ以外は手を抜きます。

「真面目過ぎる」という指摘も受けるため、意識して休憩時間をとるようにしています。意識をしないと、真面目は真面目になってしまうし、真面目は疲れてしまうので。

愛情という基礎部分がしっかりしていれば、あとは何とかなる!とも思っています。

最後になりますが、子どもには自分の頭で考えるようになってほしいので、やってあげるよりも子どもにしてもらうことの方が多いと思います。

「甘えたいからやってほしい」という甘えは受け入れますが、できることはやってもらうし、失敗してもいいので子どもがやりたいようにしてもらいます。それは着替えとか、遊びでもですね。

なるべく手を出さずに見守ろうと努力しています。言ってしまったり、やってしまうほうがラクなのですが。。

自分哲学をコレ、と決めておくと、優先事項が決まりますし、迷いにくくなります。それでも迷いますし、初めてのことは大いに悩みますが、それも自分哲学の一つとなるための良い経験でしょう。

あなたの育児の自分哲学は何ですか?

何でも哲学をもってやってみる

哲学的視点をとりいれるには、まずは大人が何でも自分の哲学をもって動いてみると良いでしょう。

「みんながやってるからか」とか、「何となくか」とか、「ラクそうだから」といった理由で物事を決めずに、「『自分は』どう思うか」を常に考えます。

自分はそれが好きなのか、本当は嫌なのか、それともどうでも良いと思っているのか。その行動や選択は、自分が本当に納得するものだろうか。どんな考えだったら、自分は納得できるのか。 そういった自分哲学を追求していくのです。

たとえばディズニーランドは人気ですが、本当は皆が行きたがるから行くだけで、実は自分は興味がないという人もいますよね。そのような場合はそこに費やすお金と時間を、自分が納得いくものに使ってみるといいでしょう。

最初は今日のランチとかファッションといった、小さなことから始めてみます。平日や休日の時間の使い方、家事や育児、仕事や趣味と言ったものでも、「自分哲学」をもてるようになると、いいでしょう。

一つ気を付けたいのは、柔軟性を保つという点です。

価値観や考え方は十人十色ですから、他者の意見には柔軟であること。それでいて自分は自分という哲学が持てると、その姿勢を子どもはきちんと見ています。

常に「自分はどう思うか」と考える癖をつけると、子どもと対話するときにも会話の幅が広がるでしょう。

子どもに聞かれたら、まずは聞き返してみる

子ども哲学って、「哲学」が付くだけで難しそうなイメージだし、わざわざ対話の場を作らなければいけないイメージがあります。

けれど実は「哲学」は多くの人がしていることで、本質を見つけるために思考を掘り下げること。デカルトが云々という難しい話じゃなくて、「哲学する」というのは思考の行為のこと言います。そして子ども哲学は、哲学論でなく、「哲学する」ことを言います。

「考える問い」も日常生活に溢れていて、日常生活の何気ないことを深く考えてみるだけでも十分だと私は思います。

むしろ日常で小さな違和感でも見逃さず、きちんと向き合って考えることの積み重ねが、たとえば「幸福とは?」みたいな哲学論にも繋がりますから。

そこで第一歩として、親子の会話で意識したいのが、子どもに質問されたらまず「〇〇はどう思う?」と聞いてみることです。

子どもは、大人が思う以上に「自分なりの答え」を持っています。3歳後半くらいから、少しずつ聞かれたら聞き返してみることは有効です。小学生になれば半分は聞き返してみても良いでしょう。

たとえば物の名前みたいに、教えないと分からないことは聞き返す必要はありません。一方で友達に嫌な思いをさせちゃったらどうするといったような「考える問い」は、まず聞き返してみましょう。

何らかの答えが出たら、その中でキーワードとなるものを選び、また聞き返します。すると子どもは、さらに自分なりの話をしてくれるでしょう。それから親の話をし、2つの考えを比較することで分かってくるものがあります。

まずは子どもに聞き返す機会を、増やしてみましょう。

子どもが「自分の頭で考える」ためにしたい、シンプルな親の反応

これからの時代、「考える」ことが重要となります。

子どもに「自分で考えてもらいたい」「子どもともっと会話がしたい」「子どもがどんなことを考えているのか知りたい」と思うなら、親がとるべき態度としてとっても簡単な方法があります。

それは、子どもと同じ目線に立って話をすること。子どもと同じ土俵に立ち、子どもを尊敬することです。

親子だと、どうしても「親が上で、子どもが下」で会話を進めてしまいますよね。そうすると子どもは「親の言うことを聞いていれば済む」ので、自分で考えようとする力が落ちてしまうのです。

同じ目線に立って、子どもと一緒に考えてみてください。どんなことでも子どもの発想を認め、子どもを尊敬しましょう。

「なるほど~!」と尊敬するだけで嬉しくて、子どもはもっと話そう、もっと自分で考えよう、とします。

わざと「尊敬しよう」としなくても、子どもの考えを聞いていると、ハッとさせられることも多いものです。子どもの方が思考がシンプルな分、物事の本質を見ていることも多いですし、小さな子だと思っても想像以上に考えていることもあります。

わが家では小2の長男の方が、私よりも人間関係や本質を分かっていることも多いと思い、常々尊敬しています。

長年、「勇気は勢いで出すもの」だと私は思っていたのですが、

長男が「勇気は愛情から生まれるんだよ。自分を愛して、勇気が出る。そしたら人にも優しくなれて、もっと勇気が出てくる」と話してくれて、長年の謎が解けました。

尊敬しながら子どもと話してみると、実に面白いですよ。

みんな違って、みんないい。「コノビー」さんでの執筆が始まりました

「コノビー」さんでの執筆が始まりました。

 

conobie.jp

「人はちがう。それでいい。そこからはじまる」

コノビーのコンセプトが大好きで、毎日見ているサイトです。私は幼稚園と小学校生活について執筆させて頂きます。

日々、ネットやテレビのニュースを見ていると、つくづく「日本は島国だなぁ」と思います。自分とは違うものを否定したり、排除したりして、受け入れない。これは島国独特の価値観だと思います。

私にはこういった考えがありません。

いや、昔は持っていました。けれど中学で父が病死し母子家庭になってから、徐々に人と比べることを辞めていきました。きわめつけは宇野千代さんの「生きていく私」を読んだことで「自分は自分、人は人」という思考が固まったように思います。

考え方は、変えられるものですね。

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今では違うことは当たり前だし、違ってこそ面白い。みんながその人らしさを突き詰め、違うものに溢れ、お互いを楽しめたら良いのにと思っています。そうすると生きることがグッと面白く、楽しくなる。

自分とは違ったとしても、その人らしく生きている人間はそれだけで美しいし、気持ちが良いものです。

コノビーさんには様々な漫画家さんやライターさんの多種多様な育児が書かれています。「みんな違って、みんないい」を表現するサイトで執筆させて頂けて嬉しく思います。

こちらでは日々起こったことを、様々な視点を交えた哲学的要素をプラスして執筆していきます。

2人目までと反応が違った、3人目の1歳半健診

3人目の1歳半健診に行ってきました。

1人目の1歳半健診は、落ち込んだことを覚えています。当時、独身時代から子育てへと急激に生活が変化し、自分なりに子どものためと様々なことを我慢して頑張っていたものの、「もっと頑張れ!」と言われたような気がして落ち込みました。生活のギャップ、大き過ぎますよね。

2人目になると育児生活には慣れたもので、そこまで落ち込むことはありませんでした。ただ、我が家は授乳期間が長いのですが、「もう断乳したほうがいいですね」と断乳を進められ、「WHOでは2歳以上の授乳を進めているのを知らないのかな?」と思ったことを覚えています。

さて、3人目。今回も突っ込まれるだろうと思って行き、「長男は4歳、次男は3歳まで飲んでいたんですよ」と話したら、「お母さんもう分かってらして自分なりにされているんですもんね」と2人の保健師さんから流されて終わりでした。

そう来たかー!と思いました。2人目の時点でかなり考えたり調べて決めたことですが、3人目となるとわりと流されるんですね。

なるほど。

 1人目のうちからこうだったらな、と思いました。

いや、もちろん大切な子どものことですから、きちんと締めていかないといかないということもわかります。初めてだし、分からないことも多いし。

わかるんだけれども、1人目のママこそ落ち込むものなので、「こうしなさい」という言い方よりも励ます感じだと良いかなと。そしてこれはダメ、あれは良いと分けるのでなく、中庸を認める空気があると良いとも感じました。