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フリーランス3児のママ 禅的子育て 

『コエテコ』で執筆させて頂いています。

プログラミング学習サイト『コエテコ』で執筆させて頂くことになりました。

coeteco.jp

今後教育分野にも携わりたいと思い、コエテコさんでも記事を執筆させて頂くことになりました。

勉強って、「嫌なこと、つまらないこと」のように捉えられがちですが、本来「面白いこと、ワクワクすること、ハマるもの」だと私は思っています。少なくとも私自身はそう感じていて、将来大学院に行って専門的に深めたいと思っています。

学ぶということは新しいことを知ること、深く突き詰めていくことですから、本来は面白いはずなんです。「遊びは学び」といいますが、子どもが遊ぶように、学べるはずなのです。そのまま自分が面白いと思う分野で仕事をできたら、楽しく、能動的に仕事もできることでしょう。

しかし今の学校教育では、そうはなっていない。勉強はつまらないことで、やらされているからやっているという。その価値観を、悲しく思っています。

同じやるなら、楽しい方がいい。それは勉強も同じことで、楽しい学びを記事に、そして実践もしていきたいとおもっています。

子どもの思考力がアップする5フレーズ

執筆しました。

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忙しい日々だと、どうしても単調なやり取りになってしまいますけどね。でも親がかける何気ない言葉が、子どもの思考を左右するものです。普段から「何で?」と聞かれれば、「また聞かれるから理由を考えよう」と思うでしょう。

英語で覚えておくと、わかりやすいかもしれません。YES/NOで答えられる問いかけよりも、5W1H(特にwhyやhow)で質問してみる。

whyとhowだけでも十分でしょう。週に一度でも、何で?どうやって?と聞いてみると、話も弾みますし、親の知らなかった子どもの一面を知れたりします。

崖にひっそりと咲く花

9月28日。

今日は、34回目の誕生日でした。

連日の秋雨の中、今日は久しぶりの晴天で空が青く、晴れたということがとても嬉しい1日でした。夕方子どもたちを連れて公園に行き、晴天を仰ぎました。

誰だったか、作家さんが本で「自分が『生かされている』ということに、人生のどの段階で気付くかが大切」という話を書かれていて。これとても大切な感覚で、生かされているというと、崖にひっそりと咲く花を思い出します。

山生まれなもので、小さな頃はずっと自然の中で遊んでいました。あるとき、山登りをしたときに、崖にひっそりと咲く花々を見たんですね。誰にも目のつかないような崖に、驚くほど綺麗な花々が、たくさん咲いているんです。誰にも見られることはない、認識されることないのに、こんなにも全力で花々が生きているんだと思うととても感慨深かった。

本来は、木の芽なんかも土の上にびっしりと生えるんですよね。無限と思えるほど大量な木の芽の中で、木となるのは、ほんの一部。その木の芽の量にも、驚いたものです。

以前は「自分が生きている」という感覚でしたが、出産後、「生かされているんだな」と思わされるような出来事がたくさんありました。自分は子どもが世に出るための架け橋だと思うようなことも。

さて、34歳は、塾を開く予定です。ライターというマクロな場所で働かせていてもらっている一方で、塾というミクロな場所で、実際に子どもたちと触れ合いたいという欲望が高まりまして、今勉強中です。

実際に子どもたちと触れ合うこと、またライターとして育児や教育の記事を書くこと、両方をリンクさせながら、自分にできることを一つ一つしていきたいと思います。誕生日が晴天で、幸先が良い!と期待しています。

自分の体を大切にすることも目標で、今年は武道を始めたいと思います。

残りの2018年、皆が笑顔でいられる時間が1秒でも増えますように。

母親業という「行」

子どもという、自分の命以上に大切な存在を育てる母親業。我が子は、言葉では言い表せられないほどの幸せをくれる存在です。

その一方で、言葉では言い表せられないほど落ち込んだり、猛烈に自分を責め立てたり、いてもたってもいられないほどの不安に駆られたり、心配をすることもあります。

たとえば、子どもが高熱を出したとき。痙攣したとき。ケガをしたとき。

どうなるかわからない、大丈夫なのだろうか…医師に診察してもらい、あとは子どもの回復力を信じるしかないーーー

こういうときの不安はとてつもないもので、不安で表情は固まり、他人の声も音も耳に入らなくなり、自分の心臓の鼓動が激しく聞こえ、息が詰まりそうになります。我が家もこの夏子どもが熱中症の疑いが出て、生きた心地がせず、熱が下がるまでは眠ることができませんでした。

そういうときに気付くのが、大切なものを得ることと、大切なものを失う恐怖は、いつでも表裏一体なのだということ。ものすごく大切で幸せをくれるものを抱いているということは、いつでも同じくらいの恐怖を抱えているのだということ。

母親業というのは物凄いことだと、子育てをする中で、度々感じさせられます。

不安に駆られたとき、思い出すのが、『解夏』で出てきた「行」という言葉です。やがて確実に失明するという病気を抱えた主人公が、「失明するという恐怖は、『行』ですな」と禅僧に言われたシーンです。

大切な存在を胸に抱きながら心配をすることも、また、「行」なのでしょう。何度やっても慣れません。

自分のことなら良いけれども、子どものことですから。病院へ行ったり看病をするなど親が出来る限りの事をしたら、あとは子どもの回復力を信じるしかありません。もどかしいったら、ありません。

結局は、今自分がここで出来ることを、100%するしかありません。あとはその恐怖や不安と向き合っていくこと。親の顔色を子どもも見ていますから、親の恐怖を子どもも感じますから、子どもの前で自分はどうするのが良いのか、考えること。

不安な表情をしていいのか。一番不安な当の本人は、親にどんな表情をしていて欲しいと思っているのだろうか、考えるべきでしょう。親が子どもを信じるのが、一番の力になります。

子育てには、様々な行があるものですね。子育てでなく、親子育てだと、心から思います。

子どもとの夏休みが楽しい理由5つ

今年は小2、年少、1歳との夏休みを過ごしています。子どもとの夏休み、今年は何だか楽しい。学校があるときより、体も楽なんです。その理由を考えてみました。

■子どもと出かけるのが楽しい。喜んでくれると尚幸せ

1番はコレです。子どもとの外出が楽しい。去年は末っ子がまだ4ヶ月だったので、全く出かけられなかったんですよね。元々出かけるのが好きな性格なので、キツかった。

まだ子どもが小さいのでプールに行ったり、電車に乗るなどの遠出はできませんが、アンパンマンの映画を見たり、科学館や図書館などには連れて行けます。

「どこへ連れて行こう」と考えるのが楽しいし、喜んでもらえれば、尚嬉しい。子どもたちがもっと大きくなったら、日本のあちらこちら、いろんな場所へ連れて行きたい。

全て子どもペースではなく、週1でカフェに付き合ってもらいます。これも結構な気分転換です。

■自分の時間をとり、頑張らない

夏休みですが、もちろん仕事はしています。お盆休みもありません。末っ子の昼寝中と、子どもらがテレビを見ていると気にしています。好きな仕事のため、仕事=自分時間なので、様々な欲求が満たされます。

それと、40日あるので、頑張るのはやめています。これはとても重要です。

夏休みは怒る機会が増える、という人も多いのでは。私も覚えがあります。特に夏休み最初は頑張り過ぎちゃうんですよね。子どもは楽しい夏休みなのに、イライラしたくない。なので、頑張るのをやめました。

午前中遊びへ行ったら、午後はダラダラします。その逆も然り。半分は頑張らずに、笑顔でなくとも、自然体の自分でいて、子どもたちがのびのびいられることを目標にしています。目標なので、できているわけではありません。

■子ども同士で遊んでくれる

下2人が年少と1歳になり、きょうだい3人で遊べるようになりました。きょうだい同士で遊んでくれる時間が増えたので、楽になったんだと思います。その分、兄弟喧嘩も増えますが。1日何回ケンカしたら済むのだろう、男子のケンカは激しいですね。

逆に大変だったのは、1人目が幼稚園時代と、2人目が2歳まででした。きょうだいで遊べないので、一日中付きっ切りでした。

■去年との比較が楽しい

これも大きいです。去年はできないことが多かったのに、今年はできることが多い。外出もできるようになったし、特に真ん中の子が成長して遊びが増えた。「こんなこともできるようになったのか」と子どもの成長を感じます。

■ご飯は子どもと作る

夏休みといえば大変なご飯作りですが、3人全員キッチンに入って作ります。長男は料理好きなので手伝ってもらえますし、次男は補助が必要なので大変ですが、一緒にやると時間が潰れる&家事も仕上がります。末っ子はまだ目が離せないので、安全を確保すれば近くにいてもらった方が良い。その他の家事も、子どもに手伝ってもらいます。

末っ子が3歳になったら、さらに5歳になったら、もっと楽しくなるんだろうな。子どもとベッタリ夏休みに一緒に居られるのは、幼稚園〜小学校の9年間だけです。一生のうちの9年と考えると、短い。

長いけど短い、短いけど長い夏休み。頑張らないで、「大変だったけど、まぁ、良かったかな」を目指して過ごしていきたいです。

ライターの仕事への原動力。

ライターという仕事は、理解のある人もいれば、ない人も相当に多い。何を言われても「これしかないし好きだからやる」と心は決まって揺らがないものの、感心するほど様々な反応が多いもので(年代によっても)、時々チクっとくることもある。

そして「傷付くのは努力か、決意か、気持ちのどれかが足りないのだ」と奮い立ち、明日への活力とさせて頂き、努力と決意と気持ちを重ねていく。そうやってここまできた、7年間。

今は子育てに関するコラムを主に書いていて、今後は子育ての中でも教育に力を入れていきたいし、目黒区の虐待事件からしつけ、愛情といった分野もテーマにしていきたい。

書くことが好きなんだけど、もっと微細に表現すれば、日々の中で考えること、発見することが好きで、行き着くところは結局哲学なんだと思う。「ビール片手に哲学話が一番あなたらしい」と言われた、その言葉が真実なのだと思う。

同時に、「あなたの文章には悪者がいない」とも言われるけれど、それは日々の生活から記事に至るまで、とても大切にしていることです。悪者がいるのではなく、人間には良い面と悪い面があるだけで。特に今は「子育て支援となる記事」を書くことをメインとしていて、みんなが、楽しく幸せであってほしい。

一方で、好きだし、自分らしい、その原動力だけで仕事ができるかというと、それも違って。

ライターの仕事は孤独なもので、編集さんもいらっしゃるけれど、仕事中はほぼ1人。99%1人で、昔からむしろそういった環境の方が向いているので、普段は問題ないのだけれど。「やっぱり人がいるといいな」とグッとくることはある。

旧友から久しぶりに連絡が来て、読んでると言ってもらえるのはとても嬉しい。記事を読んでもらえたり感想を頂けることも嬉しいのだけれど、連絡をくれるというアクションをとってくれたことが、さらに嬉しい。

様々なコメントを頂けるとことも、アクションを頂けることが嬉しいです。その中でも、少しでも気付きだったり、気が楽になってもらえたら、もう、、、幸せだ。

この原動力の威力は半端なくて、心の動きを例えるなら、まるで地上から夜空に上がる花火のよう。下から上へと心を上がらせてくれ、印象的で、綺麗で、余韻も長い。

まだまだ未熟者だけれど、今できることを、今感じることを、コツコツとやっていこう。

こういったことを思えるのも、夏ならでは、なのでしょう。

人生のベクトルが変わるとき

半分、青い。」を見ていると、人生を振り返ることが度々あります。

いま3児の育児をしながら、ライターをして、小学校英語指導者資格勉強をし、英語を勉強し直し、今年ははじめて幼稚園の役員も経験して。5分をも大切にする日々の中で、「時は金なり」という言葉が身にしみながら、今までで一番時間があったのはいつだろう?と振り返りました。

大学時代が、やはり一番時間がありました。社会科の教職をとっていたので4年生でもびっしり授業はありましたが、それでも今よりは時間はあった。当時は後悔しない大学時代をと思いつつ、いま振り返ると、やれることはたっっっくさんあったはず。

ライターの仕事は当時から一番やりたいと心に決めていたから、いくらでもやりようはあった。就活も、然り。

なぜ、できなかったのか。

いろいろ理由をつけてみるものの、結局は自分の決めた道を突き進む勇気がなかったんですね。

親のため、世間的に、安定のため…何かと理由をつけたがるのは、一番大切な気持ちの部分が欠けているから。当時はそのことに気付かなかった。

それから26歳で長男を出産して、人生のベクトルが変わりました。

一人の命は尊い。人生は思ったよりも短い、好きなことだけしていても足りないくらいに、世界は広く深い。だから好きなことから始めよう、一番好きなことだけをしよう。そう決めたというより、そういうものなんだと腑に落ちたというか、そういう考えが自分の中にストンと入ってきて、一番しっくりきた。

当時は早めの出産に自分でも考えるところがあったけれど、大学卒業後自分の人生を歩めていなかった私にとっては、今では感謝しかない出来事です。

慣れないこともしてみるもの。自分とは正反対の職業に就くことで、逆にできないことは手放すことができました。人は自分にできることしかできないし、できることに時間を費やせばいい。これが頑張れば何とかできることだったら、また何かと理由をつけて、やらなければならないと義務感を抱いていた気がする。

間違えることも、人生には必要なんだな。実際に自分で間違えてみないとわからないことは沢山あって、間違えたからこそ、こうだと決めて突き進むことができる。

そしてそれはこれからも、多かれ少なかれ起こることだろう、それが人生なんだろう。これから何十回あるのかな。

いずれにしてもその時々の自分の気持ち、芯の部分を一番大切にしていこうと思います。