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フリーランス3児のママ 禅的子育て 

子育ては「大切な子ども時代にいさせてもらっている」という気持ち

32歳の今でも、子ども時代の記憶は特別なもの。

木登りやおままごとや探検と無我夢中で遊んだこと、いつかの夏に行った海や道中の車内での会話など、昨日のことに思い出せます。

何を見ても目新しく面白かったし、自分が祖父母両親から愛され可愛がられる存在なことは、至極当然なこと。外で何があっても家に帰れば自分の居場所があり、ただ生きているだけで、毎日がキラキラ輝いているようでした。

60になっても、90になっても同じでしょう。子どもの頃の記憶は自己の根底にあり、自分をそこはかとなく強くさせてくれる。根拠のない自信に、満ち溢れさせてくれる。人生何があっても頑張れるのは、そんな子ども時代があるからかもしれません。


親側にまわった今、「自分は子どもの大切な子ども時代にいさせてもらってるんだ」と時々思います。しかも母親として。非常に、重要な立場です。

子どもにとって大切な時代にも関わらず、プリプリ怒ったり間違ったなーと思うこともあり、ついつい反省。でもまぁ人間ですし、そんなものでしょう。

それでも「自分は愛され可愛がられて当たり前の存在だった。思う存分自分が自分でいられて楽しかったなぁ」と思い出してもらえるような子ども時代にもしてあげたい。そう振り返るたびに思うのです。

自分がママ/主婦を普通にやってることに真剣に驚く

朝起きて、ご飯を作って、洗濯物を干して、掃除機をかけて。子どもを着替えさせて、遊んでないでちゃんと食べるよなんて声かけて、オムツかえて、宿題を見て。

自分が普通にママ/主婦をやっていることに、時々ふと、真剣に驚きます。

あれ、どーした。私こんなキャラだっけ?こんなこと、できたんだっけ?何偉そうに、子どもに説教してるの?毎日真面目に掃除して洗濯して飽きずに主婦して…へぇ、こんなこと自分にもできたんだ、と。

遊び回る子どもたちを見て、思うんです。私もそっち側にいたのに、いつの間にかこっち側に立っている。いつからだっけ?  いつから私は、大人になったのだろうと。

変化している間は、決して気が付かない。すっかり変わってしまってから、初めて「いつからだっけ?」と振り返ることができる。

こうやって、歳をとっていくんだろう。40になって、50になって、60になって…90になっても思うんだろう。あれ、私はあっち側にいたはずなのに、いつからこっち側にきたんだろう?って。そうやってきっと、この世からいなくなっていくのだろう。

時々今していることが、まるでおままごとのように思える。どう変化していっても、いつまで経ってもそうなのかもしれない。

流れるように人生を見つめている目が、自分の中に一つあります。

イヤイヤも、口答えも。反抗期のお手本は親が見せよう

6歳の中間反抗期と、2歳の第一次反抗期の板挟みになり半年間。

毎日のこと、なので反抗期への対処は難しいですよね。たまになら冷静に対処できるけれど、毎日毎日朝昼晩…とくると、その都度冷静に対処するのは感情ある人間ならムリです。

日々起こる反抗期の嵐の中で思ったのは、親ができることは2つしかない。「まず子どもの話を聞き、子どもが聞く耳をもったところで本当にすべきことを話し合う」こと。

けれどもまず、建設的な話し合いにはなりません。夫婦喧嘩だってそうですもん、仕方ないのかもしれませんね。

それならば、できる限り論理的な話し方を親がしましょう。「服が濡れていると風邪を引くから着替えるよ」「寝るのが遅くなると明日の体育できる疲れちゃうよ」など、論理的な理由を付け足し、親は要望を伝えます。

子どもは親の真似をしますから、次第に親のように、論理的な考え方や言い分を話すようになります。口答えといっても、論理的な口答えができるようになるのです。

どうせ反抗するならば、考える力を上げるチャンスに変えてみる。2歳では理解はできませんが、論理的思考の根っこを作ってあげられます。

何十回、何百回と同じことを言うことにはなりますが、未来のためにも口答えのお手本をしましょう。

子育てで「第二の『自分の』人生」を始める

今1番乗りたい新幹線はこまち、特急はラピート。好きな惑星は天王星海王星子育てを始めてから、鉄道と宇宙に詳しくなりました。

それだけではありません。

人間について、深く考えるようになった。人と話しながらその人の子ども時代や育てられ方を想像したり、家族や兄弟構成まで見るようになった。

ニュースを見る目も変わりましたね。事件を起こした本人よりも、親の方に問題があることが多いなと。

世代を超えて、物事を考えるようにもなりました。以前は自分の世代のことしか関心もなかったけれど、子どもたちの世代、逆に親たちの世代、その上の世代まで。

公共施設にも出かけるようになったので、住んでいる場所を町全体の視点から認識するようにもなりました。

自分自身の捉え方も変わりましたね。より動物として、自分を見るようになった。人間も動物ですものね。


「子育ては自己犠牲」というマイナスな見方がありますが、「プラスに生かすのは自分次第」なところがあります。

たしかに女性は、キャリア的な面で犠牲にしなければいけないことも多い。それでもまた一から生き直したかのように、全ての物の見方が変わり、新たに好きなものが増えるのも子育てです。

やり方によっては、子育てで得たものが新たな自分の趣味になったり、仕事になることもあるでしょう。まさに「第二の人生」ですよね。

だからこそ「子どもの相手をしてやる」という目線でなく、「自分も本気で遊ぶ」ことをしたい。そうすると見えてくるものが、必ずあるのです。

【小学校低学年向け 夏休みにしたいこと】ステップ1「問いを立てる」

小学校低学年が「考える力」を上げるために夏休みにしたいことを、昨日3つあげました。1つずつ詳しく説明していきます。まずは「問いを立てる」について。

■何でも立ち止まって考えてみる

これはとても簡単でシンプル。日常生活、会話、先生の話、テレビ、ニュース、ゲーム、遊び…あらゆる物事に対して、「それって、ほんとう?何で?」と疑問を持つだけでいいのです。まだまだ経験の少ない子どもにとって、これはほんとうに簡単なこと。普段からやっていることです。

親が問いを見つけたい場合、「当たり前」という概念をなくせばすぐに見つかります。日常で感じる、小さな違和感を掘り下げることも大切ですよ。

■努力が必要なのは親

問いを立てる場合、簡単なようで難しいのが親である大人のほう。ある程度の経験を積み、常識も知っている大人は、何でも「当たり前」で片付けてしまいがち。固定概念にとらわれ、疑いを持つことがうまくできないのです。「言うことを聞く子がいい子」で育っていますからねぇ。

ハッキリ言ってめんどくさい、そんな時間も余裕もないのも大きな一因。3〜4歳の子どもの「なぜなぜ期」に苦労した人も多いのでは?何でも「あれって何?何で?」と聞いてくる子どもに疲れ、「うるさい!」なんて一蹴してしまいがちです。「宿題しなさい!」と言い、「何で今宿題をしないといけないの?」なんて聞かれれば、「いいからやりなさい!」とも言ってないでしょうか。

問いを立てることに対して努力しないといけないのは、親自身。まずは子どもの問いかけに耳を傾け、一緒に考える姿勢を持ってみましょう。

■なぜその疑問を持ったのか?

何でその疑問を持ったのか、その理由を考えてみることもお勧めします。単純に好奇心、ということもあるでしょう。

一方で、たとえば「何でゲームはあるの?」とは考えないけれど、「何で学校はあるの?」と考えるのが子どもというもの。問いは悩みや苦手意識など、マイナスの感情から生まれることが多いのですね。大人だって楽しいときに「生きるって何だろう?」とは考えません。いちいちそんなことを考えるのは苦しいときですよね。

さて、自分と子どもにとって、今1番身近な問いは何でしょうか?

【小学校低学年の夏休み】「考える力」を上げるためにしたい3つのこと

ご飯の時間になると小1の長男が、「無言で食べてください」と言います。どうやら学校で言われているようで、学校ごっこの好きな彼は日々「無言」を連発しています。

まだそんなことを言ってるのかー!と、大いにつっこみたい。

「話すことは、考えること」。古代から哲学対話が重視されたように、会話は思考力を飛躍的に伸ばし、視野を広げます。1人で考えるのには限界がありますからね。給食だって、授業中だって、掃除だって、あらゆる場面で話した方が良いのです。校長先生の話だって、聞いてから本当にその通りか議論した方がより心に残るもの。

ある種の危機感を感じ、我が子に夏休みにしたい思考力を上げる方法を考えました。

■低学年が思考力をつける3つの柱

大学時代の哲学科での試験問題は、たとえば「正義とは何か述べなさい」という非常にざっくりしたものでした。今見ても1人で笑っちゃうぐらい、大好きな問いです。

さて、論理的にしろ、創造的にしろ、「考える」といっても元となる知識や技術が必要です。考える基礎部分を小さい頃から身につけてあげたいですね。小1の息子には、以下の3つの力をこの夏つけてあげたいと思います。

・問いを立てる力

親や先生から言われればハイと従い、ニュースを見ては鵜呑みにする。それでは考える力は決して身につかないでしょう。元気に反論するぐらいがちょうどいい。子どもが反論してきたらつい怒っちゃいますが、喜び、共に考えられたらいいですね。1日1回でも。

問いを立てる力というのは、簡単なようで難しいのです。特に日本人は言われた通りにすることが良しとされる傾向がありますから、苦手な人が多いのでは。まずは疑問を持つことが第一歩です。

・比べる力

考えるための初歩的な技術は、「比べること」。初歩的でいて、非常に効果的です。考えるとは比べると言っても過言ではないかもしれない。比べるにも様々な方向があり、多層に分かれているのです。

・調べる力

元となる知識がなければ、考えるのは困難です。調べる力も小さい頃から身につけたいですね。電子機器は悪的なことが言われますが、これからはネットが使えないとダメです。調べるためなら喜んでパソコンを使わせましょう。

 

次からこの3つを1つずつ、詳しく説明していきます。

考えることで育児がラクになる

育児をしているとあまりにも忙し過ぎて、ついついラクな方へと、考えない方へと流れてしまう。たとえばテレビやゲームに頼ったり、子どもを怒って向き合わず終了なんて、多くの家庭では日常茶飯事だろう。

これを「悪いことだ」と言える権利は、誰にもない。孤育てが始まって間もない現代、「こんな子育てはダメ」と色々言われるけれど、孤軍奮闘している親にとやかく言う権利は誰もないと思う。

子育ての理想と現実のギャップに1番傷付いて罪悪感を感じているのは、紛れもなく親本人なのだから。親自身もよくわかっているのだ。


それでも今より1歩で良いから、理想に近い子育てをしたいそのためにどうすべきか?

1番効果的なのは、環境を変えることだと思う。ママ1人、核家族で子育てなんて、所詮ムリな話なのだから。それでも環境はすぐには変えられない。

それならば、1日1個考えてみてはどうだろうか?実はこれ、一石二鳥にも、三鳥にもなる。


これからの教育現場では、「考える力」が求められる。その練習にもなるわけだが、何より考えると、怒りが落ち着くのだ。頭で考えることで心も落ち着き、違った視点が見え、子どもの気持ちに寄り添うことができる。

子どもの態度も変わる。「対話」をしてくれる親を、子どもは信頼するだろう。何かあったら親に相談しようと思うだろう。


これは理想論ではなく、体験談。私自身が考えることで、救われている。

考えるのにも方法があるし、技術があり、また問いの立て方がある。まずは日々立ち上がる問いをQと題してみる。

小さな違和感から、考えてみよう。